まだ大丈夫

友達を作るには恥を共有することが必要だ。

だから恥をかきたくない大人は知り合い止まりだし、
タンブリスタに友情にも似た親近感を覚えるのだ。

(via petapeta)
『男はオオカミだから気をつけて!』と聞くけども今何となく調べたら狼社会は一夫一妻制だし、雄の求愛行動は長い期間めげずに頑張る純だし、発情期も年たった二回だしとれたての獲物はプレゼントするし、雌の妊娠期間中も面倒をよく見て、子育てにも積極的に参加するしで、かなりパーフェクトだった。
思えばドラクエのモンスター、仲間になりたそうにこちらを見ているだけで、誰一人として積極的に仲間になりにこなかった。日本人か。
Twitter / Kudoffy (via rpm99)
「メイドさんとお散歩」とかより「貴方を1日、忍者が守ります」っていうのやってほしい。外人さんも喜びそうだし。

Twitter / Isaribi (via chptr22)

なお忍んで居るので襲われない限り見れないし襲おうと企んで居るものは事前に始末される模様

(via tnohito)

mitose:

Twitter / zerojirou: 1年毎に貼る戒め …
【天文研究会に入って解ったこと】
・午前2時の集合では遅い
・望遠鏡は担げない
・天気予報は3日前から確認すべき
・雨は降らない≠観測可能
・荷物は軽装備がよい
・前情報なしで1から箒星を探そうとすると観測は難航する
・望遠鏡を持った状態で彼女の手を同時に握ることは不可能
Twitter / po123_tr (via norick)
norick:

Twitter / _kaz_3_: FC2の広告がなんかすごいことになってた http://t. …

 この事実は長いこと漫画評論家を困らせた。漫画界の地殻変動にも全く動じず、しかもこれまで通りの少年漫画のノリで人気が落ちなかったからだ。なので、評論家たちは、横山漫画の魅力について「子どもにもわかりやすいエンターテイメント性」などと言ってお茶を濁すのが精いっぱいだった。

 私が小学六年生くらいの時に、手塚治虫の『鉄腕アトム』と、横山光輝の『鉄人28号』はどちらの方が面白いかという大論争が日本中の学校で起きた。これは日本一の漫画家はどっちかという大命題を論じていたのである。

 数の上では、多数派は常に横山派であり、ちょっとひねたような理屈っぽい子どもたちに支持されたのが手塚であった。だが、論争が始まれば横山派は分が悪かった。手塚流ヒューマニズムなどと、いくらでも良さを言葉で説明できる手塚漫画と違い、大人でも作品を語ることが難しい横山漫画を当時の小学生が論じることなど不可能だった。

 このように、久しく謎とされた横山漫画の魅力であるが、今、私がぼんやりと感じるのは、横山光輝には全ての漫画家が持っているある意味での「いやしさ」がないということだ。

 いやしさというと語弊があるかも知れないが、これは漫画家に限らず全ての芸術家、もっと言えば全ての人間が少なからず持っている「自分を見せようとする欲」だと言ってもいい。読者を驚かせたい。自分の技を見てほしい。横山光輝はこうした気持ちが非常に希薄なのだ。

 横山光輝の自伝も漫画家の自伝としては、非常に型破りだ。普通、漫画家になったからには漫画で何かをやってやろうという気持ちが入るものだが、それがかけらもない。もちろん漫画は好きで、それで描いているのだけども、先述した「自分を見せようとする欲」がないか、もしくは非常に臭みが希薄であるが故に、作品に独特のフェロモンが出るのだ。非常に特異な漫画家であり、世界にもあまり類がない。

 半世紀の歴史を持つ漫画同人グループである作画グループ代表のばばよしあきが、横山光輝の自伝を読んで、本当に楽しそうに「横山はこうでなくてはいかん」としみじみ話していた。その時に、横山光輝の魅力はこういうところにあるのかなと思った。ここまで欲のない人間だと、他人の心の内側にも入り込める。

 三国志にしても、横山光輝以外の漫画なりゲームでは、物凄い英雄、豪傑を描かんと、これでもかとばかりに筋骨隆々の美丈夫が登場するが、「横山三国志」のキャラクターは劉備しかり孔明しかり、皆まるで今、風呂から上がって散髪してきたような清潔感にあふれている。たとえるなら、大ボリュームのステーキに対して、さらっと戴けるお茶漬けのようなものだろうか。だからこそ誰にとっても腹にもたれず、読者も構えることなく受け入れることができるのではないか。